「この通りだ……」
ワンは銃を机の上に置いた。そして、両手を開いて見せて来た。
「なら、その銃を寄越せ……」
ワンは銃から弾倉を抜いて床に置き、足先で滑らせるように蹴ってきた。ディミトリはそれを靴で止めた。
「アンタに弾の入った銃を渡すと皆殺しにするだろ?」
(ほぉ、馬鹿じゃ無いんだ……)彼の言う通り、銃を手にしたら全員を皆殺しにするつもりだった。
ワンはそれなりに修羅場をくぐっているようだ。 ディミトリは滑ってきた銃をソファーの下に蹴り込んだ。これで直ぐには銃を取り出せなくなるはずだ。「鶴ケ崎先生はどうなったんだ?」
「おたくのボスに殺られちまったよ」「……」どうやら、灰色狼は組織だって動いて無い様だ。誰が無事なのかが分かっていないようだ。
「それでボスのジャンはどうなったんだ?」
「さあね。 ヘリにしがみ付いていたのは知ってるが着陸した時には居なかった」「殺したのか?」「知らんよ。 東京湾を泳いでいるんじゃねぇか?」(ヘリのローターで二つに裂かれて死んだとは言えないわな……)手下たちは額に汗が浮かび始めた。さっきまで脅しまくっていた小僧がとんでも無い奴だと理解しはじめたのだろう。
「ロシア人がアンタを探していたぞ……」
「ああ、奴の手下を皆殺しにしてやったからな…… また、来れば丁寧に歓迎してやるさ」ディミトリは不敵な笑みを浮かべた。
ワンは少し肩をすぼめただけだった。どうやらチャイカと自分の関係を知らないらしい。「俺たちは金儲けがしたいだけだ。 アンタみたいに戦闘を楽しんだりはしないんだよ」
「……」やはり色々と誤解されているようだ。自分としては降りかかる火の粉を振り払っているだけなのだ。結果的に
隣町の路上。 店を出たディミトリは、大通りの方に向かって歩いていった。なるべく人通りが或る方に出たかったからだ。 彼らが追撃してくる可能性を考えての事だった。相手が戦意を失っている事はディミトリは知らなかった。だから、追撃の心配は要らなかった。 だが、違う問題に直面していた。(う~ん、どうやって家に帰ろうか……) 学校帰りに大串の家に寄っただけなので、手持ちの金は硬貨ぐらいしか持っていない。ここからだとバスを乗り継がないと帰れないので心許ないのだ。(迎えに来てもらうか……) そう考えたディミトリは、歩きながら大串に電話を掛けた。 まさか、バーベキューの串で車を乗っ取るわけにもいかないからだ。「そこに田口はまだ居るのか?」『ああ、どうした?』「田口の兄貴に俺に電話を掛けるように伝えてくれ」『構わないけど……』 大串が言い淀んでいた。気がかかりな事があるのは直ぐに察しが付いた。「田口の兄貴を付け回していた車の事なら、もう大丈夫だと言えば良い」『え!』「お前の家を出た所で、田口の兄貴を付け回してた連中に捕まっちまったんだよ」『お、俺らは関係ないぞ?』前回、騙して薬の売人に引き合わした事を思い出したのだろう。慌てた素振りで言い訳を電話口で喚いている。「ああ、分かってる。 連中もそう言っていた」『……』「きっと、見た目が大人しそうだから言うことを聞くとでも思ったんだろ」『無事なのか?』「俺が誰かに負けた所を見たことがあるのか?」『いや…… 相手……』「大丈夫。 紳士的に話し合いをしただけだから」『でも、それって……』「大丈夫。 今回は殺していない……」『&helli
平日の昼頃。「う…… ううう~…………」 ディミトリ・ゴヴァノフは手酷い頭痛で目が覚めた。 彼は今年で三十五歳になる。傭兵を生業とするロシア出身の男だった。 もちろん、軍隊での戦闘経験は豊富で、退役する時には特殊部隊にも所属していた。 最後の作戦で戦闘ヘリコプターをお釈迦にしてしまい除隊させられてしまった。 学歴もなく手にこれといった技術を持たなかったディミトリは、仲間に誘われて傭兵に成ったのだ。 それについては別に不満は無かった。彼は戦闘行動が無類に好きだったのだ。 上官が学士学校上がりのガチガチ芋頭から、諜報学校上がりのピーマン頭に変わるだけだからだ。(馴染みの酒場で出された、安っすい酒の二日酔いより酷いな……) 頭の側でグワングワンと鐘を鳴らされているような頭痛の鼓動が迫ってくる。 身体が強烈に重くなるのも一緒だった。何とか動かそうとするも一ミリも動いた気がしない。(うぅぅぅ…… ここはどこだ?) ディミトリは眩しそうに目を開けた。眩しいのは自分の頭上にある蛍光灯のせいのようだ。 だが、視界が定まらないのかグルグルと部屋が回っているような感覚に襲われている。 ディミトリは目を瞑った。(1・2・3・4……) 目眩がする時には、目をつぶって深呼吸しながら数字をカウントするのが有効だと兵学校で教わった。 これは砲弾が近くに着弾した時に目眩に襲われやすいからだ。 戦闘時の目眩は爆風や爆圧で頭を揺さぶられてしまうので発生してしまう。そこで軍は初期教練で対象方法を教えている。 自分の少なくない経験でも知っていることなので冷静に対処法を実践してみた。 何回か目をシバシバと瞬きしていると、落ち着いて部屋の中を見ることが出来るようになった。(……………… 病院!?) 白を基調とした飾りっ気の無い部屋。消毒液の匂い。まあ、病院なのだろうと納得したようだ。(六人部屋だけどオレ一人だけか……) ディミトリがベッドの中でモゾモゾしていると、病室の中に入ってきた看護師がひどく驚いていた。 そして、彼女は慌てて部屋を出ていった。しばらくすると医師と他の看護師を連れて部屋に入ってきた。(ずいぶんと顔が平ったい黄色い連中だな……) 彼らを初めて見たときの印象だった。 ディミトリはロシアのクリミヤ生まれだ。 自分が生まれた街には白人
「…………!」「!」「……!」「!!?」 医師の一団は何かを必死に話しかけているらしいが耳に入って来ない。まだ耳鳴りが酷いのだ。 わーんと唸っていて耳が何の音も拾わないからだ。もっとも聞こえたとしても言葉が分かるとも思えない。 そこでディミトリは耳を指さして頭を振った。 分からないと言ったつもりだったが、医者たちは筆記で何かを尋ねてこようとしていた。(やれやれ…… 仕事熱心だな……) 見せられても意味が分からない。象形文字は線で構成された幾何学模様にしか見えない。彼は首を横に振って目を背けた。 するとディミトリの目が制服を着た人物を見つけた。部屋の入り口の所に居る。(あれは…… 警備員か?) 彼に気がついたディミトリは直ぐに視線を外し、顔を向けずに目の端で観察する事にした。警備員というのは自分を見つめる人物は怪しいと決めつける職業だ。これは警官にも言えることだ。 それを無視して見ていた結果は、大概ややこしい事態になるのは経験済みだ。 自分が警備員や警察官に好かれないのはよく知っているつもりだった。(違うな腰に拳銃を装備してる…… 軍警か警備兵だな……) 腰の所の膨らみを見て、拳銃を携帯していると考えたようだ。 すると他の事にも気がついた。(ん? もうひとり…… 二人いるのか……) 部屋の入り口の外にも、もうひとり居るのを彼は見逃さなかった。(くそっ! 中国軍の捕虜になっちまったか……) ディミトリにとっては、東洋人イコール中国人である。多くの白人は中国人と日本人の区別は付かないのだから仕方がない。 そして、少なくない経験から自分は捕虜になっていて、現在は警備兵の監視下にあると思い至ったようだ。(随分と厳重な監視じゃないか……) ディミトリは厄介な事になったなと溜息が出そうになった。 だが、同時に疑問も湧いてきた。(……なんで、俺は中国軍に捕まっているんだ?) 自分が襲った麻薬工場はイラクマフィアの工場だったはずだ。作戦計画書にそう書いてあった。 そこはアフガニスタンで収穫されたケシをアヘンに精製する工場だ。 アフガニスタンでは米軍に見つかって爆撃されてしまう。なので、遠路はるばるシリアまで持ち込んで作っているのだ。 工場で作られたアヘンはヨーロッパやロシアに配給されるていると聞いた。 各国が躍起になって
(でも、ターバン巻いたヒゲモジャ連中しか居なかったよな……) 工場には中東の連中ばかりだった気がする。もっとも、自分が見聞きした範囲内での考えだ。 何か裏取引が関わって居る気がしないでも無い。最近の中国は政治的な影響力を拡大させたいのか世界中の紛争に首を突っ込んでいる。(生き残りが俺しか居なかったのか?) だが、単なる戦闘員である自分に価値が有るとは思えなかった。 製品には薬剤を掛けて最終処分し、生産設備は破壊するという簡単なお仕事だったのだ。 もちろん、お宝もタップリ有ると話は聞いていた。当日はチェチェンマフィアが取引に来ていたのだ。(頭痛が酷くなりそうだな……) 彼は政治的な話には興味が無かった。 引き金を引くのに政治は関係ないし、銃弾は政治を選んで当たったり外れたりしないからだ。(このクソッタレな世の中で唯一の平等をもたらす物だからな……) そう考えてフフフッと笑ってみた。彼は刹那的な生き方をする方だ。自分の人生について達観している部分もある。 日常的に人の生き死にに接しているからなのだろう。 ディミトリは自分の頭を擦ろうと腕を伸ばすと管だらけなのに気がついた。(何だっ! これはっ!!) 自分の手を見て驚いた。まるで老人のように細くなっているのだ。 そして、そこに無数の管やら電線が繋がれている。(丸でマリオネットだな……) 自分の身体が異様に重く感じるのは、食事をとっていないせいなのだろうと考えた。(これじゃ、近接戦闘は無理っぽいな…… 逆に制圧されてしまう……) 子供の頃から空手を習っていた事もあり、格闘戦は彼の得意分野のひとつでもあった。 ところが、目の前にある自分の手は枯れ枝に指が生えているような感じなのだ。 これでは相手をぶん殴っても逆に折れてしまいそうだった。(随分と長い事入院していた様子だな…… まあ、爆発に巻き込まれれば無理ないか) 入院していると痩せてしまうのはよく聞く話だ。ましてや大怪我をして動けないとなると筋肉がみるみる内に無くなっていく。 何しろ食事をしっかり取れないことが多く、ほとんどが点滴で栄養を流し込んでいるだけなのだ。 ディミトリも戦友を見舞いに行くことが多いが、連中が退院した後に苦労するのが体力の回復なのだ。(爆弾の爆風をモロに受けたからな……) 自分も体力の回復にどのく
目が覚めてから数日たった。 医者は相変わらずやってくるが何も喋ろうとしないディミトリに手を焼いてるようだった。 繋がれていた管は殆ど取り払われたが監視は付けられたままだった。 それでも部屋の中を彷徨くぐらいには回復していた。(まずは現状を把握せねば……) 特殊部隊に居た事もあるディミトリは観察し分析するのも得意な分野だ。 部屋の外を観察した結果。自分が居る病室は二階で有るらしい。 そして、住宅街の真ん中に病院は位置しているらしい事は分かった。(まず、ここを脱出しないと……) 脱出するためにはいくつかの問題点がある。 まず、自分が今着ているのは病院のパジャマだ。脱出して外を彷徨くには着替える必要がある。 民家が近いのなら洗濯物が干されているだろうから途中で拝借すれば解決するだろう。(かっぱらいなんてガキの頃以来だな……) そう思ってディミトリは苦笑してしまった。裕福な家庭の出身では無い彼は、貧民街と呼ばれる街で育った。 正直な者が損をする仕組みが根付いている街だ。当然、彼はそんな街が大嫌いだった。 大人になって正規兵・特殊部隊・用心棒・傭兵と、戦う職業を転々と渡り歩いたのも偶然ではない。 強さこそが自分の証明なのだと、その街で叩き込まれたのだ。 後は道中に必要な金銭をどうするのかとか、移動手段に必要な車をどうやって調達するかだ。 何より、今どこに居るのかが分からないのも問題だ。(まあ、細かいことは良い……) 些か、行き当たりばったりな計画だが、まずは行動を起こすことが肝心だと自分に言い聞かせた。(まず、優先すべきポイントはここを脱出する事だ) 自分が目を覚ました事が軍の上層部に知られるのは時間の問題だろう。 そうなれば自白させるために拷問が待っている。 それだけはまっぴらごめんだとディミトリは思っていた。 ふと、見るとベッドの脇に小さな小机みたいのがある。普通そこには着替えなどが入っているものだ。 ディミトリは何気無く開けてみた。すると、そこには自分用と思われる着替えが収まっていた。(よしっ! これに着替えれば何とか脱出出来るかも知れない……) 嬉しくなったディミトリは早速広げて見た。だが、すぐに意気消沈してしまった。 小さすぎるのだ。自分の戦闘服が入っているかも期待してただけにガッカリしたのだ。(いや…
彼は人通りの多い大きい道路では無く、並行して繋がっているらしい住宅街の道路を歩いていく。 病院を抜ける時に人混みに紛れる必要はあったが、今はなるべく人目に付かないようした方が得策だ。 そう考えて住宅街をヒョコヒョコ歩いていた。まだ、上手く歩けないのだ。 そして、路地を曲がった所で地べたに座り込んでるニ人組が目に付いた。この手の連中は大概厄介だ。 金髪の男とヒョロヒョロの長髪の男。二人共に顔にピアスをしている。 ディミトリはチラッと見ただけで無視して通り過ぎようとしていた。「おい、お前っ!」「ちょっと待てよ……」 二人組が何やら言い出してきた。しかし、ディミトリは気にもかけない。ニ人組を無視して歩き続けた。「ガン付けてシカトこいてるんじゃねぇよ」「待てってんだろっ!」 なんだか意味不明な単語を並べながら二人共向かってきた。ディミトリィは揉め事は避けたかった。 そして、路地を曲がると走り出した。「待ちやがれっ!」 路地の入口を不良の一人が叫びながら曲がってくるのが見えた。(待て言われて待つ奴がいるかいっ!) ディミトリはそんな事を考えながら不自由な足を懸命に動かしていた。 身体が悲鳴を上げているのは分かっているが何とも出来ないでいる。ここで捕まる訳にはいかない。 だが、ディミトリは立ち止まってしまった。 奇妙なことに気がついたのだ。(あれ? なんで連中の言葉理解できるんだ??) ディミトリはロシア語を始めに欧州系の言語は読み書き出来る。だが、アジア系の言葉は馴染みが無い。 彼が知っているのは中国人くらいだからだ。(中国語なんて聞いたことも無いぞ?) そんな事を考えている内に金髪の男たちが追いついてしまった。「くっそチョロチョロ逃げやがってっ!」 そう言いながら先頭の男がディミトリの胸ぐらを左手掴み、右手で殴りかかろうと振りかぶった。 しかし、ディミトリはすんでの所で躱した。(ああ…… コイツ…… 戦闘経験が無いんだな……) ディミトリは躱しながら、そんな事をボンヤリと考えた。 彼の少なくない戦闘経験で胸ぐらを掴むなどやらないからだ。そんな手間かけずに殴ったほうが早い。 そして、金髪の腕が伸び切った所で腕を引っ張ってあげた。金髪の彼はそのまま勢いを付けて転んでしまった。 少し拍子抜けしてしまった。 彼は
(なんだコイツラは……) ディミトリは、今まで相手にしてきた狂犬のような不良たちとの違いにうろたえてしまっている。 だが、面倒な人種に思えてきたので、さっさと逃げだそうかと思った時に声が掛けられてきた。「お前たちっ! 何してるっ!!」 そう怒鳴りながら警察官たちが近づいてきた。どうやら喧嘩をしていると通報されていたらしい。 警察官たちは傍に来てディミトリと不良二人とに引き離した。 喧嘩の様子を双方に聞いていたが、二人組は一方的に殴られたと主張している。 しかし、喧嘩の様子を見ていた警官は、金髪がディミトリの周りでコロコロと転がっていただけなのを見ていた。 結果、不良たちは厳重注意されていた。 だが、自分をジロジロと見る警察官はどこかに無線連絡している。それからディミトリに尋ねてきた。「君は大川病院から勝手に外出した人だね?」 「……」 ディミトリは何も答えなかった。周りを警官に囲まれているし、何か迂闊なことを言えば自分が不利になる思ったからだ。「保護依頼が出ているから一緒に来たまえ」 「……」 警察官はそう言うとディミトリをパトカーに載せた。彼も大人しく従っている。 何故かと言うと警官たちは警棒すら手にしなかったからだ。 自分の今までの常識では、警官は拳銃を構えて相手を制圧するのが常だったのだ。 最悪の場合は近接戦闘戦になると覚悟していたが拍子抜けしてしまった。 もっとも、今の状態でディミトリが包囲網を脱出できるとは思っていないのは事実だ。 だから、大人しく言うことに従っていたのだ。 不思議な事に手錠を掛けられる事無く警察署に連れて行かれた。(なんだ?) 脱走した捕虜の扱いは大抵酷い目に会わされるものだ。そうしないと、再び脱走を企てるからだ。 四、五人で取り囲んで袋叩きにする。自分もされたことが有るしやったこともあった。 だが、彼らはそうはしない。(く、国によってやり方が違うものなのか?) ディミトリは益々混乱してしまった。 警察署に到着すると先程の警察官が、トイレを指さして言ってきた。「取り敢えずは顔を洗って来なさい……」 ディミトリはトイレの洗面所に入っていく。汗と血痕でひどい格好になっているらしかった。 洗面台の蛇口を捻ると綺麗な水が出てくるのに軽く驚いた。 シリアの基地
元の病室。 どうやら自分が今いる場所はダマスカス(シリアの首都)では無いとディミトリは理解したようだ。 ビルが立ち並んでいるのが見えていたので、勝手にそう思い込んでいただけだった。 そして中国でもない。もっと東にある日本という国なのだと知った。(違いが分からん…… で、どこだ?) ディミトリには中国も日本も新聞の記事でしか見たことが無い。なので、地理的なイメージが湧かないらしい。 だが、場所などはまだまだ些細な事だ。 彼はもっと深刻な問題を抱えている最中だった。(なんで、見知らぬ小僧の身体になっているのか……) にわかに信じがたい状態にあるのだ。 目が覚めたら自分が他人になっている。こんな話は聞いたことが無い。 しかも、困った事に自分は違う人間だと証明しようが無い事だった。 すっかり取り乱したディミトリは警察署のトイレで大声で騒ぎ出したようだ。 それを警察官たちはなだめるのに大変だったらしい。 やがて、興奮のあまり気を失ってしまったディミトリは病院に戻されてしまっていた。「じゃあ、君が覚えていることを教えてくれるかな?」 鏑木医師がディミトリに尋ねた。彼は入院した時からの担当医だ。 警察署での様子を付添の警察官から聞いた医師は心配事が増えたようだった。 しかし、具体性の無い質問を言われても分からない。「ナルト……」「?」 ディミトリは日本で知っている唯一の単語を口にしていた。 日本のアニメ好きの同僚が口にしていたものだ。 彼は忍者に憧れていたので武器の一種なのだろうと推測していた。「ナルト? ラーメンに入ってるヤツ?」「え?」 今度はディミトリが混乱してしまった。(ラーメンってなんだ?) 意味不明な単語に戸惑ってしまった。だが、ディミトリの腹が『ぐぅ~』と鳴るので食い物関連かも知れないと考えた。「ああ、アニメの方のナルトね……」「!」 ディミトリの戸惑った表情で、違う方の『ナルト』だと気がついた医師はアニメだと思ったらしい。 医師もアニメは知っているらしかった。きっと有名なのだろう。 その様子にディミトリは頷き返した。「アニメは好きなのかな?」「どうでしょう…… あまり覚えていません……」「ふむ……」 医師はカルテに何かを書き込んで質問を続けた。「自分の名前は?」「……」 まさか『ディ
隣町の路上。 店を出たディミトリは、大通りの方に向かって歩いていった。なるべく人通りが或る方に出たかったからだ。 彼らが追撃してくる可能性を考えての事だった。相手が戦意を失っている事はディミトリは知らなかった。だから、追撃の心配は要らなかった。 だが、違う問題に直面していた。(う~ん、どうやって家に帰ろうか……) 学校帰りに大串の家に寄っただけなので、手持ちの金は硬貨ぐらいしか持っていない。ここからだとバスを乗り継がないと帰れないので心許ないのだ。(迎えに来てもらうか……) そう考えたディミトリは、歩きながら大串に電話を掛けた。 まさか、バーベキューの串で車を乗っ取るわけにもいかないからだ。「そこに田口はまだ居るのか?」『ああ、どうした?』「田口の兄貴に俺に電話を掛けるように伝えてくれ」『構わないけど……』 大串が言い淀んでいた。気がかかりな事があるのは直ぐに察しが付いた。「田口の兄貴を付け回していた車の事なら、もう大丈夫だと言えば良い」『え!』「お前の家を出た所で、田口の兄貴を付け回してた連中に捕まっちまったんだよ」『お、俺らは関係ないぞ?』前回、騙して薬の売人に引き合わした事を思い出したのだろう。慌てた素振りで言い訳を電話口で喚いている。「ああ、分かってる。 連中もそう言っていた」『……』「きっと、見た目が大人しそうだから言うことを聞くとでも思ったんだろ」『無事なのか?』「俺が誰かに負けた所を見たことがあるのか?」『いや…… 相手……』「大丈夫。 紳士的に話し合いをしただけだから」『でも、それって……』「大丈夫。 今回は殺していない……」『&helli
「この通りだ……」 ワンは銃を机の上に置いた。そして、両手を開いて見せて来た。「なら、その銃を寄越せ……」 ワンは銃から弾倉を抜いて床に置き、足先で滑らせるように蹴ってきた。ディミトリはそれを靴で止めた。「アンタに弾の入った銃を渡すと皆殺しにするだろ?」(ほぉ、馬鹿じゃ無いんだ……) 彼の言う通り、銃を手にしたら全員を皆殺しにするつもりだった。 ワンはそれなりに修羅場をくぐっているようだ。 ディミトリは滑ってきた銃をソファーの下に蹴り込んだ。これで直ぐには銃を取り出せなくなるはずだ。「鶴ケ崎先生はどうなったんだ?」「おたくのボスに殺られちまったよ」「……」 どうやら、灰色狼は組織だって動いて無い様だ。誰が無事なのかが分かっていないようだ。「それでボスのジャンはどうなったんだ?」「さあね。 ヘリにしがみ付いていたのは知ってるが着陸した時には居なかった」「殺したのか?」「知らんよ。 東京湾を泳いでいるんじゃねぇか?」(ヘリのローターで二つに裂かれて死んだとは言えないわな……) 手下たちは額に汗が浮かび始めた。さっきまで脅しまくっていた小僧がとんでも無い奴だと理解しはじめたのだろう。「ロシア人がアンタを探していたぞ……」「ああ、奴の手下を皆殺しにしてやったからな…… また、来れば丁寧に歓迎してやるさ」 ディミトリは不敵な笑みを浮かべた。 ワンは少し肩をすぼめただけだった。どうやらチャイカと自分の関係を知らないらしい。「俺たちは金儲けがしたいだけだ。 アンタみたいに戦闘を楽しんだりはしないんだよ」「……」 やはり色々と誤解されているようだ。自分としては降りかかる火の粉を振り払っているだけなのだ。結果的に
ナイトクラブの事務所。 ディミトリは弱ってしまった。部屋に入ってきた男はジャンの部下だったのだ。そして、この連中はコイツの手下なのだろう。 折角、滞りなく帰宅できるはずだったのに厄介な事になりそうだ。(参ったな……) ディミトリは顔を伏せたが少し遅かったようだ。男と目が合った気がしたのだ。「お前……」 入ってきた男が何かを言いかけた。その瞬間にディミトリは、右袖に仕込んでおいたバーベキューに使う金串を、手の中に滑り出させた。こんな物しか持ってない。下手に武器を持ち歩くのは自制しているのだ。 ディミトリは車で送ってくれると言っていた男の髪の毛を引っ張って喉にバーベキューの串を押し当てる。 これならパッと見はナイフに見えるはず。牽制ぐらいにはなると踏んでいるのだ。 いきなり後頭部を引っ張られてしまった相手は身動きが出来なくなってしまったようだ。何より喉元に何かを突きつけられている。 兄貴と呼ばれた男と部屋に居た残りの男たちも動きを止めてしまった。「動くな……」 ディミトリが低い声で言った。優等生君の豹変ぶりに周りの男たちは呆気に取られてしまっている。 しかし、入ってきた男は懐から銃を取り出して身構えていた。ディミトリの動きに反応したようだ。「え? 兄貴の知り合いですか?」「何だコイツ……」 部屋に居た男たちはいきなりの展開に戸惑いつつ兄貴分の方を見た。「ちょ、待ってくれ!」 だが、兄貴と呼ばれた男が意外な事を言い出した。(ん? 普通はナイフを捨てろだろ……) ディミトリは妙な事を言い出した男に怪訝な表情を浮かべてしまった。「俺は王巍(ワンウェイ)だ。 日本では玉川一郎(たまがわいちろう)って名乗っているけどな……」「ああ、ジャンの手下だろ…… 倉庫で
「田口君のお兄さんが鞄を持って行ったって何で解ったんですか?」 大串の家で聞いた限りでは誰にも見られていないはずだ。だが、現に田口の家ばかりか交友関係まで把握しているのが不思議だったのだ。「防犯カメラに田口が鞄を弄っている様子が映ってるんだな」 一枚の印刷された画像を見せられた。防犯カメラと言うよりはドライブレコーダーに録画されていたらしい画像だ。 黒い革鞄と田口兄が写っている。それと車もだ。ナンバープレートも写っていた。(泥か何かで隠しておけよ……) 泥棒は車で移動する時にはワザと泥などでナンバープレートを隠しておく。防犯カメラに備えるためだ。「鞄を返せと言えば良いだけだ」「鞄の中身は何なの?」 何も知らないふりをして質問してみた。「中身はお前の知ったこっちゃない」 男はディミトリをギロリと睨みつけながら言った。「まあ、そんなに脅すなよ。 中身はそば粉と子供玩具と湧き水を容れたボトルさ」「?」 子供騙しのような嘘だとディミトリは思った。「この写真を見せながら言えよ?」 ボス格の男はそう言うと何枚かの写真を投げて寄越した。 写真には田口と田口兄。それと一組の夫婦らしき男女の写真と、小学生くらいの女の子の写真があった。田口の家族であろう。 最後は故買屋の防犯カメラ映像だ。鞄の処理の前に銅線を売りに行ったらしい。 普通の窃盗犯であれば仕事をした後は暫く鳴りを潜めるものだ。そうしないと探しに来る者がいるかも知れないのだ。(ええーーーー…… 素人かよ……) 余りの幼稚な行動にめまいがしてしまった。「そば粉なら、また買えば良いんじゃないですか?」 ディミトリは話の流れを変えようと言い募った。 窃盗した後に迂闊な行動をする馬鹿と、見張りも立てずに取引物をほったらかしにする素人など相手にしたくなかったのだ。「そば粉は別に良い。 ボトルを返せと言えば良い……」 ここで、ピンと来るモノがあった。(そば粉だと言う話は本当だろう……) 見つかった時の言い訳用だ。拳銃が玩具だというのも本当だろう。万が一、職務質問で見つかっても警察が勘違いだと思わせることが出来るはずだ。 ボス格の男が色々と蕎麦に関してのウンチクを並べているがディミトリの耳に入って来なかった。(だが、ボトルの中身は…… 麻薬リキッドだな……) ディミトリはボトル
大串の家の近所。「いいえ、別に友達ではありません……」 ディミトリは警戒して言っているのでは無い。本当に友人だとは思って居ないのだ。「でも、田口のツレの家から出てきたじゃねぇか」 男の一人が大串の家を顎で示しながら言った。 これで男たちが田口を尾行して、彼が大串の家を訪ねるのを見ていたと推測が出来た。「学校でクラスが同じなだけです……」 ちょっと、面倒事になりそうな予感がし始め、ディミトリは警戒感を顕にしていた。「ちょっと、オマエに頼みたいことが有るんだ」 男が手で合図をすると車が一台やって来た。やって来たのは白の国産車だ。 大串たちの話ではグレーのベンツだったはずだが違っていた。「ちょっと、付き合ってくれ」 開いた後部ドアを指差した。「クラスの連絡事項を伝えに来ただけで、僕は無関係ですよ?」 妙齢のお姉さんであれば喜んで乗るのが、おっさんに誘われて乗るのは御免こうむるとディミトリは思った。「田口に届け物を渡して欲しいんだよ」「それなら、おじさんたちが直接渡したらどうですか?」 ディミトリは尚もゴネながら逃げ出す方法を考えていた。「良いから。 乗れって言ってんだろ?」 ディミトリを知らないおっさんは頭を小突いた。瞬間。頭に血が上り始めた。(くっ……) だが、人通りもあって我慢する事にしたようだ。今はまだディミトリは冷静なのだ。ここで、喧嘩沙汰を起こすと警察が呼ばれてしまう。それは無用な軋轢を起こしてしまう。 それに相手は中年太りのおっさんが三人。ディミトリの敵では無い。チャンスはあると思い直したのだった。(周りに人の目が無ければ、コイツを殺せたの……) ディミトリは残念に思ったのだった。 こうして、ディミトリは大串の家から出てきた所を拉致されてしまった。 連れて行かれたのは中途半端な繁華街という感じの商店街。端っこにあるナイトクラブのような地下の店に連れ込まれた。 まだ、開店前らしく人気は無かった。その店の奥にある事務所に連れ込まれた時に、白い粉やら銃やらをこれ見よがしに置かれているのを見かけた。(ハッタリかな……) まるで無関係の奴に見せても益が無いはずだ。ならば、ハッタリを噛ませて言うことを効かせようという魂胆であろう。 ヤクザがやたら大声で威嚇するのに似ていた。「よお、坊主…… 済まないな……」
「それでマンションに忍び込んで、各階の電線を盗みまくっていたらしいんだけど……」「マンションって屋上にエレベーターの機械室があるじゃん?」「ああ」「そこに入った時に鞄が落ちてたんだそうだ」(いや、それは隠してあると言うんじゃないか?) ツッコミを入れたかったが話を済ませたかったので続きを促した。「工事道具を置きっぱなしにしたものかと思ったんだよ」 鞄の上部にスパナやレンチなどの道具が入っていたそうだ。それで勘違いしたらしい。 こんな物でも故買屋は引き取ってくれるのだそうだ。「それで儲けたと思って鞄と電線を持って帰ってきたんだ」(何故、その場で確認しないんだ……) チラッと見ただけで済ませたらしい。ディミトリのように疑り深い奴なら鞄をひっくり返して中身を確かめるものだ。「でもって、車に戻って中身を全部見たら、拳銃と白い粉が入っていたんだよ」 そのセットはどう考えても犯罪組織に関わり合うものだ。「どう考えても様子がおかしいから、兄貴たちはビビっちまってロッカーに隠したんだってさ」 元の場所に戻しに行こうとしたが、車がやって来るのが見えたので慌てて逃げたらしい。(受け渡しの途中だった可能性が高いな……) 金と物の交換を別々の場所で行い、お互いの安全を図る方法だ。警察の手入れを受けても金だけだと検挙出来難いからだ。 何度も取引をしている組織同士なら安全を優先するものだ。 普通は見張りを配置しておくものだが、それが無かった様子だった。何らかの事情で人手不足だったのかも知れない。「その時には周りに何も無かったらしい」(でも、見落としがあったから今の状態だろうに……)「安心していたら何日か経ってから監視されるようになったんだよ」(所詮は素人が見回した程度だからな……)(時間が掛かったのは監視カメラか何かに映っていたのか?) 恐らくは車などに積まれているドライブレコーダーから足が付いたのではないかと考えた。廃墟のマンションに防犯カメラは設置されていない可能性が高いからだ。「で、具体的に何か言って来たのか?」「いや、ただ付けられただけみたい……」 要するに何もされて居ないのに、勝手に怖がっているだけのようだ。ディミトリは呆れてしまった。「何かしてくるようなら、その時に相談に乗るよ……」 何も要求されていないのなら、何も言う
放課後。 その日一日を平穏無事に済ませたディミトリは帰り支度をしていた。そこに大串が再びやって来た。「なあ……」「行かないよ?」 大串の思惑が分かっているディミトリは素っ気無く言った。「まだ、何も言ってないじゃん……」「田口の兄貴に関わる気は無いよ」「じゃあ、せめて田口の話だけでも聞いてくれよ」「そう言えば今日は田口が来てないな……」 ディミトリが周りを見渡しながら言った。興味が無かったので田口が居ないことに、その時まで気が付かなかったのだ。「ああ、放課後に俺の家に来ることになっている」「そうなんだ」「お前が田口の家に行かないと言ったら、俺の家で相談に乗って欲しいって言ってきたんだよ」「だから、面倒事に関わる気は無いんだってば」「いや、アドバイスだけでも良いと言ってる」「……」「かなり困っているみたいなんだよ」「なんだよ。 情け無いな……」 大串の説得に話だけでも聞いてやるかとディミトリは思った。 それでも手助けはやらないつもりだ。迷惑を掛けられた事はあるが助けてもらった事など無い。いざとなったら、誰かが助けてくれるなどと考えている甘ちゃんなど知った事では無いのだ。(悪さするんなら覚悟決めてやれよ……) そんな事を考えながら、大串と連れ立って彼の家に向かう。 ディミトリはその間も通る道を注意深く観察していた。彼には警察の監視が付いていたはずだからだ。 ところが最近は見かけないと言っていた。恐らく公安警察の剣崎と対峙したあたりから監視が外れているようだ。 ディミトリには何故剣崎が自分を捕まえないのか分からなかった。(まあ、面倒臭そうなら剣崎に投げてしまう手もあるな……) 剣崎が冷静を装ったすまし顔を困惑するのが浮かぶようだ。ディミトリは少しだけほくそ笑んだ。 大串の部屋に入ると田口が暗そうな顔をして座っていた。「やあ」 ディミトリはなるべく明るめに挨拶をしてやった。 まずは話を聞くふりをする必要がある。マンションに忍び込んだ様子から聞き始めた。「兄貴たちは銅線を集めにマンションに行ったんだ」 田口が話している廃墟マンションは何処なのかは直ぐに分かった。 川のすぐ脇にある奴で何年も工事中だったと話を聞いている。工事をしている業者が倒産してしまい、途中で放棄状態になっているマンションなのだ。 そこに田口
「そんな危なっかしい物、どっかのロッカーに押し込んで警察にチクってしまえよ」 ヤクザが足を洗う時には拳銃の処分に困るものだ。海に捨てたり山に埋めたりする手もあるが、面倒くさがりの奴は何処にでもいるものだ。そこで、ロッカーに入れて警察に密告するのだ。後は警察が処分してくれる。「ああ、そうしたんだそうだ……」 田口兄はコインロッカーに鞄を詰め込んで警察に匿名の電話を掛けた。チンピラに毛の生えた程度の小悪党には、薬の売買など手に余ってしまう。ましてや拳銃は犯罪に使われていない確証も無い。巻き込まれるのは嫌だったのだろう。 コインロッカーの場所には警察の車両が集まっていたので、無事に回収されたのだと思ったらしい。「厄介物の処分が終わったんなら良いじゃねぇか」「ところが、田口の兄貴は見張られて居るらしいんだよ」「誰に?」「ここ数日、グレーのベンツが付いて廻るんだと言っていた……」「鞄の元の持ち主じゃねぇの?」「それが分からないから相談したいんだそうだ」「ふーん……」 ここでディミトリは考え込んだ。もうアオイの車を気軽に使えないので、足代わりになる者が必要だからだ。 田口兄は足代わりになるが、今回の事のように少し抜けている所がある。(関わっても得にならねぇな……) 冷静に考えても見張っているのは鞄の所有者だった連中だ。きっと、揉め事になる。揉め事を解決してやっても、得るものが無いと判断したディミトリは見捨てることにした。「俺には関係無い事だ」 ディミトリはそう言って立ち去ろうとした。「そんな冷たい事を言うなよ……」「前にも似たような事言って俺を嵌めたよな?」「……」 これは大串の彼女が薬の売人と揉めたと偽られて嵌められた件だ。元来、ディミトリは裏切り者は許さない質だ。たとえ反省しても、一度裏切った人間は再び裏切るからだ。これは傭兵だった時に何度も経験済みだ。 今、大串たちを処分しないのは、ソレを実行すると日本に居るのが難しくなると考えているに過ぎない。 彼らの命は首の皮一枚で繋がっているだけなのだ。(俺の周りはロクでなしばかりだな……) ディミトリは苦笑してしまった。少し、ハードな日々が続いて疲れているのだ。 出来れば何も起こらないことを願っていた。 今回の田口兄にしろ小波が大波になってしまう。今はなるだけ避けたいものだと
中学校。 中国のケリアンから偽造パスポートが届くのには暫く時間があった。彼は二週間前後になると言っていた。 その間は大人しく生活をしていようとディミトリは考えていた。恐らく、外国に行ってしまうと、二度と日本には帰ってこられない。なので、祖母に何か孝行をして置こうかと考えているのだった。 「お前、夏休み明けから変わったな……」 学校に登校すると四宮にそう言われた。 確かに少し筋肉が付いているのが自分でも分かるぐらいにはなった。後、体中傷だらけだ。「ああ、筋肉トレーニングしてるからね……」「へぇ……」 最初に学校にやって来た時には、玄関で履物を履き替えるのが分からずに土足で上がろうとして怒られた。 次は自分のクラスが分からずウロウロしている所を、四宮に声を掛けられたのだ。「四宮もやってみろよ。 飯が美味くなるぜ」 そう言ってディミトリは笑った。実は柔道場での師範同士の会話を丸パクリしてるだけだ。 自分は食事が旨いという感覚が良く分からない。味覚が脳に記憶されている物と違っているらしく旨いとは思えないせいだ。 もっとも、基本的に祖母が出してきたものは残らず食べるようにはしている。残すと悲しそうな顔を見せるのが嫌だからだ。 四宮と会話をしながら教室に入ると大串が近寄って来た。「すまん…… 若森に相談が有るんだ……」「ああ、屋上に行こうか……」 朝のホームルームまでは時間が有る。二人は屋上に向かった。「ん? 閉まっているのか……」 ディミトリが屋上に出る扉に手を掛けていると鍵がかかっているのに気がついた。まだ、施錠が外れる時間では無かったのだろう。「ああ、ここで良いよ」 大串がそういうのでディミトリは屋上に出るのを諦めた。天気が良さげだったので少しだけ残念だった。 一方の大串は深刻そうな顔をしていた。「相談って何よ?」「田口の兄貴がいるだろ?」「ああ……」「面倒事を起こして家に引きこもっているらしいんだ……」「ん?」「廃墟になったマンションに、田口の兄貴が銅線を盗みに入ったんだよ」(相変わらずにロクでなしだな……) ディミトリは田口兄の変わらなさに笑ってしまった。「その時に鞄を一つ拾ったらしい」(おお! 胡散臭さ満杯だな) 廃墟に落ちているものなど、碌な物では無いに決まっている。「中身は何なのよ?」「拳